コミック版「ToHeart Remember my memories」が電撃大王2005年7月号で終了しました。
ラストはまあ、無難な終わり方でしょうか。
連載中もいろいろ書いてきたので、ここで統括をしてみたいと思います。
なんだかんだ言っても、最初の「携帯電話を取り出すあかり」ですべてが決まったといってもいいでしょう。
あの時点でもう「ああ、これは ToHeart じゃないんだな」というのがわかってしまいましたから。
ホームメイドがいても携帯電話は普及していないのが、ToHeart の世界だったのです。じゃないと、志保が持っていないのはおかしいじゃないですか(笑)。
※志保は「初音のないしょ!!」収録の「LEAF FIGHT 97」で PHS を持って登場していますが、本編で使用したことはありません。
ストーリー自体については「あかりエンドか雅史エンドか、どっちの続きなのかハッキリしろ!」といいたいですね。
物語では「あかりエンドの続き」となっていましたが、前半のあかり自身の言動は、どうみても「幼なじみ」のままでした。
「前作コミックの続き」はあり得ない(前作ではマルチはずっと稼動し続けることになっていた)のに、回想シーンに前作の絵を使ってしまったりしたので、よけいに混乱が混乱を招くことになってしまっています。
思うに、最初は前作と同じようなオープニングにしたかったがために「幼なじみ」っぽい行動を取らせたけど、後半は「恋人」になってないとまずい展開にしてしまったため、無理やり「あかりエンドの続き」としたのではないでしょうか。
あかりが幼なじみのままだったら、あかりは浩之とマルチのために身を引いていたはずですからね。
作画に関してはもはや「漫画になっていない」と言えるでしょう。
キャラクターのデッサンが崩れまくっているのはどうにもなりませんし、カットのつなぎがへたくそすぎて、読者を置いてきぼりどころか、ぶっちぎりで引き離していっています(笑)。
単行本になるようですが、あのまま収録ということはありえないでしょう。
おそらく全編描きなおしとなるはずです。
そのくらいの「プロとしての誇り」が残っていることを、高雄右京氏とメディアワークスに(ちょっとだけ)期待しておきます。
結局のところ「何のために作成されたのかわからない」というのが全体の感想です。
何のために ToHeart の1年後が描かれたのか。何のためにリーフキャラを登場させ、殺したのか。
ToHeart2 の宣伝のため? だとしたら、この出来では逆効果でしかないですね。
どこかで見たアニメ版の感想に「同人誌で見たシーンがアニメで見られたのがよかった」という身もふたもないものがありました(笑)。
でも、確信をついていると思います。
結局この「ToHeart Remember my memories」という作品は、なんだったんだろう?
その疑問が晴れない限り、とてもアニメ版は見る気にはなれそうにもありません。